はくちゅう夢

 

金曜日、朝。

雨の音で目がさめる。

身支度を整えながら、今日はとてつもなく寒いのだろうとキルトンコートを着て、マフラーを巻いて、おまけに手袋も引っ張りだしてきた。

意を決して外を出ると、風はとても柔らかくてあたたかい。私の好きな雨だった。

見えない暖かい毛布をまとっているような、まどろんでしまいそうな雨。細かい雨粒のおかげで景色が淡い。重力が少しだけなくなったように、今日だけはここは地球ではなく、どこか違う星のように感じる。なんて、想像を膨らませながら駅まで20分歩く。

ホームに到着した電車の窓ガラスはふわふわと曇っていて。私もふわふわとした気持ちのまま電車に乗って。それから美しい雨の日のことを思い出していた。

以下、以前の日記より。

夢から覚めたときのように、思い出した事があった。

その日の正午過ぎ、(滞在何日目かは忘れてしまった)バングラデシュの首都、ダッカに雨が降った。小雨だった雨は大粒になり、次第に傘無しで歩くには困難なくらいの大雨になった。

市内を散歩していた私は宿に戻りたかったけれど、自分が今どこにいるのか全く分からなかったので、仕方なく、近くのボロボロな建物の小さな屋根の下で、雨宿りをすることにした。

人やリキシャが通る度に、ぬかるんだ地面の泥がバシャバシャと音を立てて跳ね上がった。

雨はより一層、激しさを増していく。

ぼんやりと雨の降っている様子を眺めていると、右肩にふわりとした感覚があった。隣を見ると、白いサリーをまとった女の子がいた。私よりも10センチは背が低く、華奢で、とても育ちが良さそうな女の子だった。

その女の子も雨宿りをしに来たようで、私の隣に来た後に、空を見上げた。そして、こちらに視線を向けた。目が合うと、ふっと微笑んだ、ように見えた。

私は、とてもどきどきとしていたと思う。

それは白いサリーをまとったその女の子が、驚くほどに美しかったから。

学生鞄を持っていたからきっと中学生くらいだと思うのだけれど、随分と大人びて見えた。

どのくらい、そうして雨を見ていたかは分からない。

しばらくして、雨が止んでもないのに、私はなんとなく屋根から抜け出した。そうしたら、女の子も屋根から抜け出した。(それか逆に女の子が先に歩きだしたかもしれない。そのあたりの記憶は曖昧。)

丁度、私たちの横をリキシャが通り過ぎようとしていた。

すると女の子はそのリキシャを引き止めて、乗り込んだ。リキシャに乗った女の子と目が合った。女の子はすっとイスを詰め、もう1人座れる分のスペースを作ってくれた。そして、微笑んだ。

そうして、私もリキシャに乗り込んだ。

雨の中、どこへ行くのか分からないリキシャに。

女の子はベンガル語で行き先を告げていたと思う。

でも、声は覚えていない。

リキシャに乗っている間。

ぐんぐんと移り変わるまわりの景色と、白いサリーの女の子を見ていた。

私たちは、ひとことも話さなかった。

リキシャや車、人々がごった返す大きな通りに出た時、渋滞によってリキシャがとまった。その時、女の子は私を見て、微笑んだ。

”きっと、ここで降りれば大丈夫。”

そう言っているのだと思った。

お金を出そうと思ったら、女の子が小さく首を振った。

(ここら辺の記憶も曖昧。だけど確かに彼女はお金を受け取らなかった。)

「ドンノバッド。」

私はひと言お礼を言って、リキシャを降りた。女の子はまた微笑んだ。

女の子を乗せたリキシャは去って行った。

私はリキシャが見えなくなるまで、ただぼんやりと突っ立っていた。

私は映画のカメラマンになったようで、1本の短い映画を撮ったような感覚だった。街はカラフルだったはずなのに、モノクロに見えて。その少女と白いサリーだけが際立って美しく、目に焼き付いた。そして車のクラクションでいっぱいだったはずなのに、雨の音しか印象に残っていなかった。

その後、ぐるりぐるりと街中を歩いていたら、なぜだか無事に宿へと着いたのだった。あんなに降っていた雨も不思議とあがっていた。

ふと急にそんな出来事を思い出したのは、今朝。

思い出せて良かったと思う。

とても美しい、旅の記憶の1つ。

2012年2月28日の日記より