それでも やっぱり幸せでありたいのだ、と思う

 

“幸せが続くとバチが当たる”

いつからかそう思うようになっていた。

自分のようなものが幸せになるには何かしらの代償が必要なのではないだろうか、というように。

幸せなことがあったら、幸せをひとしきり感じたあとは必ず、何でもよいから、必死に小さな不幸せを探して、そして悲しくなって、それから少し安心をする。

何年経っても変わらなくて、自分の中にそういった考えがしっかりと根付いてしまって、そして隅々まで染みついてしまっている。

“幸せになってもいいんだよ”

と言われて泣いたのはつい最近のこと。

本当は、やっぱり、私は幸せでありたいのだ、と思う。