不完全で不公平で

 

『九月二十七日

陽は部屋にゆっくり射して

畳にぼくの影が 樹とゆらぎ

網目の影とかさなる

この時、ぼくは外に出た

見たまえ あの抱擁するような陽の光り

永遠の愛を 痛く何度叫んだか

草原に独り ただ独り

ぼくは草になる 土になる

かぎりない欲望に こころは迷う

わざと曇した ガラス窓 曇した

それでも ぼくの眼に入る陽は自身のもの

半分の秋日和に明るい陽は外の草花を酔わす

ぼくを 幻の地へさそう 酔わす

あぁ 愛の陽よ 愛よ 泣かせておくれ』

永山則夫 「無知の涙」より

とても美しく、とても繊細な詩だと思って、私は幾度か声に出して読んだ。

そして、目を閉じてどうにもならないでもその酔いしれるような状況を想像する。

それから静かに泣いた。随分前のこと。

今現在ある自分は、

過去から継続されているものである。

”過去の自分があるから今の自分がある”

という言葉があるけれどまさにその通りで、過去があるから今があると思う。栄光も挫折も全て含めて。

今生きている限り、1秒単位で、いや もっと細かく、自分の人生が刻まれていく。

私は人のそういった過去、継続しているその人の時間やその人の人生の分岐点というものに、とてもとても興味がある。

冒頭の詩を書いた永山則夫もその1人だった。

1968年、東京、京都、函館、名古屋で4件の射殺事件を起こした青年である。(当時19歳)今でもそんな事件が起きたら当然騒がれるだろうし、当時も随分と騒がれたようだった。

世間は始め彼に対して非道だという言葉を浴びせたが、彼の過去を知るとそれは一変した。逮捕された永山則夫は獄中で本を貪り読み、文字を学びながら生まれて初めてノートを綴った。そうして「無知の涙」が出版された。

世の中はとても不公平だ。平等なんてない。

その人自身の環境の公平度は、生まれる前から決まっていると私は思う。

だからといって、永山則夫本人も言っている通り、犯罪を犯してしまっては全く持って同情の余地はないのだ。堕落している人生でも、無関係な他人の命を またその回りの人の人生や時間を奪っていい理由にはならない。とやっぱり思うのだ。

ただ、もしも彼が彼の人生を変えるような素晴らしい人との出会いがあったならば。彼がもっと恵まれた環境(ここで言う恵まれたは虐待のないこと)に育っていたならば。犯罪を犯すことはなかったかもしれない。

環境がそうでも、少し何かが違っていたら罪を犯す事なく誰かに影響を与えるような文を書く作家になっていたかもしれない。そう考えると、とてもやりきれない。

例えば似た環境に育った人でも、犯罪を犯す人がいれば犯さない人もいる。

それは本人次第だと言われることもあるけれど、きっと環境の中の何かが決定的に違うのだと思う。それはずっと疑問に思ってる。何が違かったのか。

彼がその線を一歩超える原因は何だったのか、

それを考えることによって、何かが防げた気がしてならない。